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単なる偶然を活かすということ。

商業写真やブツ撮りは別かもだけど、意図せず「そう映っちゃった」写真てのがあり、それを選ぶかどうかでその写真家の真価が問われる気がする。土門拳という巨匠写真家は、計算しつくして高度すぎる技術で撮っても「そう映っちゃった」写真が良いという。それは鬼が手伝ってくれたと表現している。

レコーディングでも意図せず「こういう演奏になっちゃった」「ズレちゃった」「こんな音になっちゃった」って思惑と違う結果になることが多いけれど、そういうのこそ自信持って採用すると後から聴いて「これがいいのよ」ってなることが殆ど。ズレかと思っても全くズレて聴こえなくなる。

レコーディングでは演奏した本人ほど重箱の隅をつつくようなジャッジになってしまいます。こまかいところを気にしすぎると大きな流れや魅力が削がれてしまう可能性が出てくる。

自宅レコーディングやセルフレコーディングではこういったことに気をつけねばなりません。みんなで作業するということには、価値観の画一化を防げるという大事な側面があるのです。

なので『バンドレコーディング』であるならば尚更メンバーの演奏をお互いにしっかり聴きましょうよ。そして、つまらない音楽はなぜつまらなく感じるのかをもっと考えたいです。

 

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美しさを感じるちから

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「美しさを感じる力」というのがあって、それは人により違うんだけど、人格はもとより経験や努力によって更新できる。例えば音楽なら我慢して何回か聴いてみるとか。それはその創作した相手に対する敬意や尊重の有る無しでもある。 何事も心に「開放」とか「謙虚」があると美を感じる能力は上がる。

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とても嫌いだったモノが好きになるということがあります。

自分の場合そういうことが最近ありまして。
それはとある写真家さんでした。

まず作風が派手すぎて色彩感もデリカシーがない感じ(笑)、とにかく控えめさや『抑制』『陰影』がなくとにかく性にあわない写真でしたよ。

ただ、その1枚1枚を撮影するのにはものすごく手間や金、技術が使われていることは一目瞭然でなぜか『気にはなる作風』だったのです。
そこでいろんな本で彼の作品の「作り方や考え方』を読んでみたところ、いろいろ感銘を受けることが多く。。。。。。

そう思った瞬間からなぜかその彼の写真を観れるようになり、嫌いではなくなっている自分がいました。
『それこそが”独自の世界観”である』と。その人自身の努力や人格や信念によって生み出された写真なのです。

不思議なことです。


嫌いな考え方や作風や色彩、表現、理念でも実際ちょっとでも心をひらいて触れてみるとその魅力に気がつくことができるかもしれない。
つまりそのことによって『自分の世界が広がり、引き出される』。

歳を重ねてくるとほんの5歳くらい下の人たちの価値観が理解できないことがあります。音楽でもドラムプレイでも。レコーディングのやりかた一つとってみても。
けどそれは心掛け一つで理解し合えることかもしれない。

そう思うと世界中の人たちが仲良くできるかできないか、宗教や政治にもそういうことが言えるのかもしれません。

色々な『美しさ』を感じられる自分でいることが、他人の意見や美学に柔軟に接することができる自分でいられることが、自分にとって一番『得なこと』だと言えませんか、ね。

道端の1輪のたんぽぽのやうなものに『かわいい』と感じられる方が、日々幸せだよ。

 

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今回はレコーディングに関係のない社会的な話題。SNSにインスパイアされた。

 氾濫する情報や動画とかにどう向き合うのか。


世界最大の企業のひとつ、グーグルの検索エンジンの進化の歴史というのは「氾濫しまくる情報をいかに取捨選択して、スパム的で重複的なコピペサイトやページ、検索者のためにならない情報をいかに排除するか」、を追求してきたことだそうです。


たとえば「レコーディングの技法」として検索しても、無駄な情報や製品の提灯記事しか上に上がってこないならば、誰も検索しなくなるしネットの価値はなくなるわけですよ。


江戸前でもこうしてサイトやブログで「読んだ方のためになるかはわからないし保障も出来ない」レコーディングや音楽、ドラムについての情報をまぁ、発信してる訳ですが、大なり小なりみなツイッターやインスタで自分を発信出来る。インスタ映えというより「ネット全般映え」ということでしょう。


個人が何かを発信していくときに、それを上げるか上げないかは自由なのですが、それを「グーグル検索のAIがどう判断するか」を仮にイメージしてからにするといいかもしれません。


最近は、文章の理解力であったり読解力が人間様よりグーグルのロボットの方が上なのでは、という事をとても強く感じています。


(ドラムの上手い下手や音楽の美しさの判断も!?)


つまり、下手な事をやったり書いたり発信していると、グーグル様に相手にされなくなってしまうのです、


人に相手にされる前に、ね!


ちょっとしたSNSの出来事を見て思いました。



ちなみに次はAIが人間を超えた時どうなるか、のブログをUPします。

(だだし過去記事として。「過去」、ここ重要)

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 ラディックの営業車とともに

コストコに連想されるメタリカによるレコーディングでの振り切り感

コストコに来ている。まず、なにもかもスケールが違う。 

まず広い(笑)テレビから薬からタコからイカからコンタクトレンズから花からテントまで何でも箱売りしている。(笑)

 マジック20本入りとかハサミ5個入りとか、誰買うねん!(結構売れてる)一事が万事この調子でとにかく振り切りが凄い。

 お食事処のホットドッグは死ぬほどまずく、カスタードはただ酸っぱいだけだし、スムージーは死ぬほど甘い。。。酸っぱさや甘さは日本のそれとは三倍くらいの差があります。

全ての納入業者に商品のパッケージをコンテナの規格に合わせさせるチカラ技に憧憬?すら覚えます(笑)確実に他より安さ感はありますがどんぶり勘定的に見えるところも良い。

とにかく振り切ってる。 

 

これで思い出したのが何故か「メタリカ」(笑)。

 あの、賛否ではなく否定意見ばかりだった「デスマグネティック」の超極端な大音圧汚れマスタリングや、古くは「メタルジャスティス」のベースの極端な小ささ。「St.anger」のこれまた極端なスネアの高次倍音。

誰に何言われようとシラネー、俺らのカッコいいと思ったことしからやらん! 

 みたいな振り切りにコストコに似たアメリカ文化を感じます。

 「味噌汁の具?そんなにいらないって?

シラネ」 

みたいな。 

 

ラーズ『なに?僕のドラムがよれているって?

全くナンセンス。お前はグルーヴのクの字も知らん、うせろ』

 

とか言ったとか言わないとか。。。(笑)

 

 

 こういう振り切ったレコーディングを是非してみたいし、そういう振り切ったアーティストほど今求められる気がします。

 

 ギターウルフ的な。

 

 

レコーディングでのミュージシャンの自信のなさと自身に対する度量の話し。

ミュージシャン(特にアマチュアに多い)にはよく謙遜してなのか、それが日本人の美徳なのかわかりませんが

「いまの演奏、良かったのか悪かったのか、自信がない。」

「いまの歌、まぁ歌えてるけどピッチが不安定なところが多く、いい歌に思えない。」

「勢いがあるドラムだけど最後少し走って雑な感じになってるのがどうしても嫌でやりなおしたい」

等々でゴネる人がいます(笑)。

 

そんな時周りのメンバーやスタッフは

「いやいや、そこを含めとってもいい演奏だからこれで行こう!これが最高」」って思ってることが圧倒的に多いのですが、その周りの人がいいと言ってるのに耳を傾けないような「人格」がその人の素晴らしい音楽性に傷をつけてる状況にレコーディングでは良く遭遇します。

 

みんながいい演奏だったと気持ちよくなってるのに、ひとり反対するかのように自信がないとか単に演奏の精度がとかで、水を指す。

 

これはレコーディング自体のムードを悪くするし、周りの人間から見ても作品のイメージをとても悪くする行為。

 

なんて勿体無い人なんだろう。。。 

 

ドラムに例えるならば、そのちょっと走るぐらいの前のめりなビート感がとても魅力的で個性になっててカッコいいドラマーがいるとすると(もちろん日頃もっといい演奏が出来るように努力してるドラマーであるとして)、

「うん、少し走ってるけどこれはカッコいいよね!」と、言える人格な人だととっても器が大きなミュージシャンぽくてカッコいい。

 

しかし、

 

「いや、あそこのこの部分が◯◯で。。。」なんて、自分に対しての度量が小さい人だったりするとほんとにその人の音楽までつまらなく思えてきてしまう勿体無さ。

 

ドーンと自信持って構えてるミュージシャンと、自信なさげにチマチマやってるミュージシャン。どっちが素敵ですか?と。

 

たまーにそういう残念なミュージシャンがいるので、注意したほうが自分の為ですよ。

 

人が良いって言ってくれてるのを受け入れて「ダマされる」能力を持ったミュージシャンのほうが音楽もプロジェクトも上手く行ものです。 

 

※スタジオミュージシャン系の現場だとある意味真逆で、周りがいいと言えばそれで万事オーケーという場合が比較的多い。けどもちろんその中でも音楽をちょっとでも良くする為にストイックにテイクを重ねる人がいて、それは現場の性質にもよりますが、ある程度テイクを重ねて「いろんなアプローチを試してくれる人」の方が逆に信頼出来るってのもあります。

 そこの現場での物事の進め方こそ実はプローデューさの度量だったりするわけですが。

一発オーケー当たり前のミュージシャンだけど時間に余裕持ってスケジュールを組んでいるか?とかね。。。 

レコーディングに必要な三つの立体感について。

今回はいつものドラムに特化したマニアック?な内容ではなく、一般的な広い意味でのレコーディングのお話しです。

江戸前のお客様にはもちろんtopプロやレコーディングの経験の抱負な方もいらっしゃいますが、ほとんどスタジオレコーディングをやった事がない、または初めて!という方も多いです、めちゃくちゃ。

レコーディングというのは初めての場合まるで自動車の運転のごとく危険でよくわからない、しかし、運転してしまうと楽しくてしょうがない、みたいな世界です。
運転ならまずはエンジンの入れ方から始まり、ギアチェンジの仕方(今はオートマが一般的でしょうが)ハンドルの切り方に加え、前後左右の距離感覚、スピード感覚など研ぎ澄ました経験が必要となります。
レコーディングもまさにそれ。ただマイク立てて演奏すればいいというものではないといえます。

まず何よりも大切なのは事前に演奏とアレンジを完全にしておくという事ではないでしょうか?
自分の演奏を練習しておくのは言うまでもありませんが、仕上がりを見据えたアレンジ、つまり、左右のPANや奥行きなどの音の配置という意味の立体感をイメージしたアレンジをしておく事が大事です。これは和声的なアレンジ、 楽器編成的アレンジと同じかそれ以上に大事なアレンジポイントですよ。この部分をイメージせずスタジオに来てからあーだこうだ言っていたら日が暮れますね。

二つ目は一つ目と関連する事ですが、各楽器をどういった音色、トーンで録音したいのかを考えて置く事ですね。それは単にスネアは何を使いギターのエフェクターは何を使うというのを考えておく、という狭い意味ではありません。各楽器間の音量の大小だけではなく音像の大小関係まで見据えた立体のイメージが必要になります。

例えばシンガーソングライターものなのに、歌の録り音が細くてギターやドラムに『存在感的』に負けてしまうようではモトも子もありませんよね。それは音量だけでなく例えばマイクとの距離感なども深く関わってきます。つまり、ただ音量レベル的に適性に録音出来ていればいい、なんて簡単なものではありませ ん。
音量だけでなく、音響立体の中でどのような立ち位置なのか、どう聴かせたいのかのバランス感が非常に大事で、結果作品の質を左右してくるのです。

蛇足ですが、かのjudy and maryのドラマーがおっしゃっていた事です。
ジュディマリのmixはドラムが小さめで逆に歌の存在感を全面に押し出していますが、それはわざとだと言っていました。

『(悪い意味で言ってるわけではない)YUKIのような上手くない個性的な歌程とにかく全面に出すmixの方がいい。
下手だから引っ込めるのは逆効果、これ、あるときにTAKUYAとあーだこーだ試行錯誤して意見が一致したんだよ~』

つまりこの場合、ドラムがやたらかっこ良くフューチャーされてても駄目な場合があるということです。
歌モノの場合、歌がリスナーに届くのが命!
(いろんなドラムチューナーの氏も、サビでいかにスネアの存在感を消して歌を下支えするか?、について言及・実践しています)


最後に大事なのは、意外と皆さん適当になりがちですが、スケジュールの立体感覚です。
漠然と○時間で何曲、なんて決め方ではとても不効率です。
まず始めの二時間はみっちり音決するというところから始まり、○時から○時はドラムベース、ドラムをOKしたらドラムを撤収しながらベースを治しつつ、ギターのセッティングをする、というような細かいイメージ設定が大事です。

また、一日に二曲以上歌を録る必要がある場合、連続で歌うのは非常に酷です。ナンセンスとまで言えるかもしれません。歌が1番大事なのではありませんか?
そこで、歌はこのタイミングで一曲、で次はここで一曲、その間は何々をしておく、などと細かく計画を立てるとよいでしょう。もちろん何時に歌い始めるから何時に起床しておく、というような自己管理が大事なのも言うまでもありません。
だいたいのボーカリストは午前中は声が出ません。起床後6時間はレコーディングクオリティの声には必要と言われています。

一時間ウン千円もスタジオ代金を使うのですよ?この時間的立体感覚は最も大事ですね。効率良い制作はクオリティを何倍にも上げるのです。
ここでエンジニアさんに気を使う必要は全くありません、ぶっ続け12時間とかべつに、「余裕」ですから(笑)

以上レコーディングに非常に大切な三つの立体感、3-3Dでした。ご参考まで。

細かいアドバイスご相談はいくらでもお受けしておりますよー御気軽に。
(=゚ω゚)ノ
 

ひかり、陰、シャープネス、ボケ、、、配置、奥行き、バランス。。。。それらはレコーディングにも絶対必要な『立体要素』。。。。。photo by Tomoyuki Shikama from SNARE GIRL "RACCO"

ひかり、陰、シャープネス、ボケ、、、配置、奥行き、バランス。。。。それらはレコーディングにも絶対必要な『立体要素』。。。。。photo by Tomoyuki Shikama from SNARE GIRL "RACCO"

クリックの性能が劣化しているらしい。。。???

今も昔もクリックによるレコーディングというのはスタンダードな手法です。
しかし昔のクリックと今のクリックには大きな違いがある事に最近気がつきました。

昔はクリックに合わせてDrum-Bass-Gt-Vo、、、、と録っていた。
もちろんクリックにあわせて演奏陣が1発というのもやる。

しかし昨今のレコーディングの多くは、DTMで多くを完成させてから、最後にレコーディングススタジオに移動しDrumを録るというのが非常に多くなって来ているのです。

DTM上で音源を制作する場合、演奏の基準は『完璧にクリック』となってしまう。
『クリックあれど』の部分の生ドラムによる生のグルーヴを演奏に取り入れる事ができないのです。

なぜなら仮の打ち込みのDrumにあわせ先にOKテイクのGtとかBsを録ってしまっているから。
つまり軸がストレートにクリックになってしまわざるを得ない状況なのです。

クリックを使えど生ドラムから順にまたは一緒に録っていくならば、生のドラムのゆらぎに対して他の楽器が合わせていく事になるのだけれど、始めにBsやGtなどのウワモノから決定してしまうと、生ドラムの本来のグルーヴを取り入れにくいのです。

上手いドラマーは完全にクリックに一致して叩いている訳ではありません。
その上で自由に泳いでいる。だからこそのグルーヴが有る。本来はそこに合わせるべきではないでしょうか?

最近はplugインのアンプシミュレーションの発達などで、作曲やプリプロ段階での作業におけるウワモのがそのままOKテイクになってしまう事が多いです。その方が確かに合理的な部分もありましょうが。
しかし、それによって『リズム主体の音楽であるはずのモノ』から一番大事なファクターが欠落している可能性があるのではないでしょうか?

生ドラムをドラム音源等を駆使して再現する楽しみもあるでしょう、しかしその楽しみは貴方のMacのまえだけで完結する些細なことです。

『生ドラムが生ドラムたる所以』に至るまでしっかり今のDTM的手法で取り入れる事ができていないという、その現状。非常に危惧される状況であると言えます。

しかも最後にドラムを生に差し替えればいい、という問題でもないんですね。。。。

レコーディングとはかくも難しいのです。
 

スネア女子 RACCO photo by EDo-mae (zeiss touit 32/1.8)

スネア女子 RACCO photo by EDo-mae (zeiss touit 32/1.8)

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日本の色、演奏の色

日本人にとって多くの音楽ジャンルは「舶来」だ。クラシックもジャズもロックも。。。

もちろん日本人なりに咀嚼して再構築し、自分のモノとしている音楽家も沢山いるだろうし、国際的に大きな評価を得てる人も多い。

ところでここで次の写真を見て欲しい。ネットで拾って来たものであるが。。。

貴船神社 by Alvin Huang on 500px.com

Timeless by Shawn Liu on 500px.com

 

どうだろう。確かに良く撮れて美しい写真ではあるかもしれないが、なにか不自然ではないだろうか?多分に加工しているからというのもあるが、それよりも直感的に日本人として感じるのは、これは日本の色あいではないな。ということ。

 

これらの写真は外国人が撮影したモノだが、

「まったく日本を理解してないよなー。けど、こういう解釈もあるのか、俺は嫌いだけど。。。。」

 

いや、これは解釈というより無理解だと思う。「うわべ」しか見てなく無勉強だし本質にたどりついていない。

 

音楽にもこういう事が言えるかもしれない。特にクラシックやジャズでは日本人の演奏がそういう評価を「向こうの人」からされてしまう事があるのではないだろうか。

 

もはやクラシックやジャズも国籍が無関係なグローバルな芸術ではあるけど、芸術あるが故にどこまで進化しても外せない「本質」があると思う。それをしっかり勉強して追求してきたかというのは、音楽であれ先の写真のように一発でバレる。

 

しかし!

 

先の日本の貴船神社や浅草寺の写真のような「一見美しいけどトンチンカンな色あい」の写真を日本人ですらも良く撮る。

 

もう、ここまで来ると日本人こそ日本を理解してないのではないか?としか言えない。

 

国際社会において本当に恥ずかしい国民性だと思う。

 

 

 

そうだとすれば、ね、

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