少々写真もやっておりまして時に感じることがあるのです。

あるところに人物の写真を専門とする写真家がいて、美しい女性を写した素敵な写真があるとします。そこには使用機材の説明もついています。


あるひとは「美しい写真」だ!

と言い、

ある人は「このレンズの写りは素晴らしい」といい、

ある人は「なんて美しい女性なんだ」

と言いました。


さて、この写真がどのような意図で撮られたのかにもよるのですが、おそらくこの被写体が「美しい女性」であることを伝えたくて撮られた写真なのではないでしょうか。


だとすると「なんて美しい女性なんだ」という評価がその写真家にとって一番嬉しいことかもしれません。それを伝えたくて撮ったのでしょうから。


そして「美しい写真」であるかどうかは「美しい人が美しく写っている」ことで、そのことを含んでしまってると言えますし、いいカメラやレンズであることもそれが示唆してるとは言えませんか?


とすると、

人が音楽を聴く時、

「いい歌だ」「いいメロディだ」「心が癒される」「元気になる」etc.であることが本当は一番素敵なことですよ。

つまり、それらの評価はきっと「いい音質だ」とか「いいドラムサウンドだ」とか、

「さすが〇〇のマイクは素晴らしい」

というのを含んでくることになると思うのです。

つまり、素晴らしいドラムのプレイがあるとしても、

「素晴らしい楽曲だ!」になるのが一番素敵な事だと思うのです。


「〇〇のスネアは素晴らしい!」

「〇〇のマイクや機材はいい音だ!」

となるとしても、例えそこに目立つキャプションが付いていたとしても、音楽にとってはそうなりたくないし、そういう聴き方はしたくないものです。

楽器や機材は音楽のためだけに存在し、なるべくなるべく目立たないポジションにいるのがベストだと思うのです。

なんの機材使ってんのかなー?って一番先に思われる音楽や写真ではありたくないのです。

そして、そうならない音楽ばかり聴いていたいし、作りたいものです。

使用レンズ : Carl Zeiss Planar T* 50mm f1.4 zf、 モデル : ANZU  富士の樹海にて撮影

使用レンズ : Carl Zeiss Planar T* 50mm f1.4 zf、 モデル : ANZU  富士の樹海にて撮影