あまり詳しくはないが、所謂京都などの「花街」の文化。
早いと中学生くらいの娘さんが仕込みさん(一般でいうところのお茶汲み、スタジオでいうところの電話番(笑))として、置屋(事務所的な)に入り、色々と勉強させてもろて数年で「店だし」する。つまり「舞妓」としてデビューするわけだ。
所謂クライアントというか旦那衆は店だし前からお気に入りを特に気にかけ、舞妓としてデビューしたら毎夜のように座敷に呼んで可愛がる。
で、ほんとに贔屓にする娘であれば
「昔なら」ば、大金を払って「筆降し」をする。
つまり「処女を購入」する。
詳しくは知らないけどその大金のほとんどはそれまでその舞妓を育ててきた(出資してきた)置屋に入るのだ。また、過去の厳しい裏歴史としてはそうやって彼女らは搾取されたわけだ(これはあくまで相当昔の話)。
そして筆降しされた舞妓は晴れて「芸妓」に昇格する。(舞妓と芸妓の違いはgoogleへ)
今のイメージだとAKBを卒業してソロ活動に入るみたいな(笑)
花街の文化をひとつの芸能とするならば、それは1人の女性の成長を愛でる芸能文化であり、その過程を楽しむ文化(高貴なイメージや伝統を蓑に、性の搾取の側面は綺麗に消しながらの)。始めはとにかく初々しかったのが舞妓芸妓と成長するにつれ、舞や踊りから三味線や唄を唄うようになって、芸や唄も円熟してゆく。その移ろいに美を見出す(四季を愛でるように非常に日本的な)究極の贅沢とも言えるわけです。( 現在はそこに「性」のシステムはないと思うけれど(建前上は))
で、それをもっと一般的な文化芸能で見ると、まさにアイドルはそれだし、広げていくと若いアーティストや女性に限らずバンドだったりもしかりだ。
粗削りだけどカッコ良かったのがどんどん変質していって音楽として深みを増していくわけだから。
昨日、松田聖子のファーストシングル「素足の季節」を聴いていたら、まことに下手で(笑)。
しかし、松田聖子のどの唄よりも力んでいて気合いが入っていて、頑張って歌っている。
おそらく死ぬ程毎日毎日練習させられて気が狂いそうなスケジュールをこなしながらレコーディングに臨んで、泣きながら録ったんじゃないか?みたいなのがその歌から伝わってくるのだ。
その涙の跡みたいなのが舞妓さんが「堪忍やで、堪忍しとくれやす◯◯はん」みたいにグッとくるわけよ、
歌として。。。
それが2枚目の「碧い珊瑚礁」になると、力がスパっと抜けている。上手くもなってる。
「◯◯はん、ウチ成長したやろ?可愛いなったやろ?」
その後松田聖子はアイドル路線を突っ走り、「瑠璃色の地球」で自作曲に挑戦したり、最近(といってもだいぶまえ)は「あなたに逢いたくて」という熟しきったオトナのオンナになるばかりか、娘の神田沙也加の母親を超えるまでの天才的歌唱とブレイクにまで繋がるわけで。
本来音楽は、音楽を一生やっていくと腹をくくるなら、そのぐらい長いスパンで表現される芸術だと思う。強烈に。
スティングなんて、デビュー時はイケメンのチャラいインテリなチンピラで泡吹いて歌ってたのが、今や禅僧のような佇まいで静かな曲を歌ってる。
(最近はまたロックやってるけど)。
「唄下手でも堪忍やで、ウチ頑張るさかいに。(ウチはまだまだ処女やさかいに、旦さんよろしゅうおたのもうします)」。。。。
という禁断の風情。
しかしそういう味わいも佇まいも余裕も何もないのが今のアイドル歌謡やその他の音楽だ。
だから、下手は下手なままでいいのよ。
修正すんな。
今1番大切な要素を捨てるな!
唄もドラムもピッチもタイミングも。
成長するんでしょ?ずーっと音楽やると決めたんでしょ!??!