江戸前さんは最近写真にハマっております。
ひょんなきっかけでオリンパスの大衆機デジカメのPENを購入し、なんとYUIKO MIZUSHIMA AND THE BIWA INSTITUTIONのジャケやポスターまで撮影しましたが、そのPENで。そのごfujiに移行。
olympus PEN E-P5によるYUIKO MIZUSHIMA (BIWA)
しかもさらに、なんとフィルムカメラにまで手を出し始めましたよ(笑)レンズ沼は当然フィルム沼。。。
そのフィルムカメラは父親の遺品(まだ死んでない、つまり生前贈与)で、まぁ僕が小さいころに僕を撮る為に買ったやつだと思われます、小さなころから親父が大切にして良く撮ってた記憶があります。当時は全く触らせてくれませんでしたね。
そのnikon F初期型は超高級品だったらしく、今の価格だと100万近いとか??
ま、それをポーンとくれた訳です。レンズ三本付きで。
で
手短かに何が言いたいかというと、50年近くも前の機械が未だに動いてなんの遜色もない、という事なんですわ。
この、事実。
これはドラムにも言えます。
江戸前では1920年代のスネアが未だに現役ですよ(ludwig & ludwigのパイオニア)。
また、そこまで古くないですが、negiのジャズセット。
これは、ジャズドラマーの横山くんから大切にお預かりしてる逸品なのですが、彼が小さな頃から叩いていた想い出の品。
細かい話しは省略しますが、横山君の親父さんがどっかから入手してきてカバリングを親父さん自身が日曜大工的に張り替えたモノだそうですが、
これがホントにいい音するんですよ。
息子の為にドラムを仕入れて来て見た目を綺麗に復活させてあげて自由に叩かせたという「粋な親父」、横山くんは静岡の人ですが親父さんはかなり「江戸前な人」ですなぁ。
(笑)
このようにカメラも太鼓も、世代を越えて受け継がれ大切にされる。
写った写真になにかが宿る、叩いたその音にプラシーボかもしれないけど深みや郷愁を感じる。
こういうのが理屈ではない「画や音」の深みになるのですね。
現代のデジタル一眼カメラや最新のソナーのドラムセットも素晴らしいし大切にはしますけど、大切の意味が違ってくる。
こういう風に感じることができれば、
それは人としてまだAIとかに負けない、「人らしさ」であり、そこがアートの源流になるのではとつくづく思うわけですよ。
そういうモノがさらに何世代も、血縁とか関係なく受け継がれていくとそれは伝統ということはなるのではないでしょうか?
苦労して受け継いでいくもの。
伝統とはなんぞや、の答えの一つでしょう。