音楽を伝えるにはどうしたらいいのか。
音楽について、受け手側と演奏する側では立場の違いがあります。
そして、美への感性も違いますし、経験や理解するための素養も違うわけです。
ルネサンスなわかりやすい絵画しか受け付けないという人もいればゲルニカのような抽象画を好む人もいます。
またありとあらゆる絵画が好きな人もいます。
また、世界的絵画でも写真資料でみてわからないことが生で見ることで分かったりすることもあります。
音楽はどちらかというと「記録された」ものを鑑賞する率が圧倒的に高いです。なので「何に、どのように、どのような気持ちで」記録して頒布したのかがとても重要になるわけです。
ここで重要なのは表現者の「気持ち」です。
音楽の内容が過激なスラッシュメタルであれなんであれ、アーティストの音楽そのものとそれを丁寧に伝えようとする気持ちが伴っているかどうか。
聞いてほしいなら聞いてもらえるように心を込めているのか。
それは履歴書の文字のようなもので、華麗なる学歴や経歴があっても字が丁寧でなければ敬遠するかもしれません(もちろん字は関係ないし、効率的かどうかを見る人は手書きにこだわらないかもしれませんが)。
石焼き芋の移動販売のアナウンスが音が大きすぎたりすると「食べたい」と思う以前に「うるせー!!!あっちいけ」と思うでしょうし、小さすぎたら来てることもそもそも伝わりません。
また、音が多少雑な呼び込みのほうが「逆に風情がある」という人もいるかもしれない。
けど、そこの基本にあるべきは「美味しいので買ってほしい、食べて欲しい」というのでなくてはならない。
音楽も人に届けたいなら「聴いてほしい、それで楽しんでほしい」というのを心の底からまず思い、一番適切な方法を取る努力をするのが大切です。
もちろん、自分が出来る範囲で最大限努力すればいいのです。
聴く人見る人が何を求めてるのか、どういう条件でどんな時に聴かれるのか、それを真剣に考えなくてはならない。
それが結局レコーディング作業の一つ一つに関わってきます。楽器は何を使いどう演奏してマイクを立て、ミックスし、マスタリングし、映像なら編集して、どんなメディアでどう発表するのか。
音楽を見て聴いてる人は本能的にそういったことの「総合結果」を聴いているのです、テクニックやペダルを踏む足はどうなってるのか?なんてものを見てはいないのです。
どんな音楽でどんな人がどんな気持ちで奏でてるのか?しか見てない、と言い切れるでしょう。
その人の真心のようなものが演奏の内容に表出する。
その真心をどのように込めて音楽を奏で作るのか。それは結局自己プロデュースであると断言します。