あれは大阪で芸術を学ぶ苦学生だった1994年10月7日のこと。目の前に神が現れたいや、阿弥陀如来が現れた経験があるのです。

 

山形から大阪という大都会に出てきたならば、まずやってやろうというのはクラシックコンサート巡りであります(笑)

それはアルバイトして稼いだなけなしの3万をぶっこんで観に行ったクラウディオアバド指揮のベルリンフィルハーモニーオーケストラ。

 

曲はマーラーの9番のみ!これが長い!

 

まぁ、それはいいとして

「三万払うのにマーラーかよ。くっそ。マーラー難しいんだよな」

 

というのが第一印象(笑)酷い。

 

場所は日本初の残響3秒を誇る大阪シンフォニーホール。

ここの残響が本当に素晴らしい。ここでベートーベンの方の9番の合唱を歌ったことがありますが、それはそれは素晴らしい経験でした。

 

いや、マーラーの9番ですが、その長い曲の最後の終わり方がいわゆるベートーベンの9番みたいに「ジャジャーン!♬。うおおおぉブラボーー!!!」みたいなのとは正反対で弦楽隊が少しずつ少しづつ小さく消えていくというもので。

 

ベルリンフィルとアバドというと世界最高峰で、それを聴いてるという贅沢感もあり三万も出してんだぞ!というビンボー臭さもあり、非常に集中して音楽を楽しんでたのです。

 

そんな中、マーラーの9番なんてどんな曲かも知らずに聴いてるわけですけど、曲が終わるに従って物凄い緊張感がホール全体に漂ってきました。

超満員で2000人以上はいたでしょうね。

 

旋律がどんどん小さくなってゆく。どんどんどんどん小さくなっていき、最後はなんの音もしなくなる。しかしまだアバドは指揮棒を降ろしていない。楽団員の弓は全て揃い停止してい、満場のお客さんも物音一つ立てず全ての神経がその音楽に注がれている。

 

しかし、まだアバドは指揮棒を降ろしていない。

 

けれど音はしない。

 

まだ、降ろさない。

 

誰も音をたてず息すら止めるように

 

「死を受け入れる」ような静寂。

 

 

そこには確かに、死の瞬間に目の前に現れるという阿弥陀如来が来迎していた。。。

 

音が消えてアバドが指揮棒を降ろすまで何秒あったのかは最早確かめようがない。

けれどそこに最高に美しい「無音という音楽」が神々しく存在してい、そこにいる全ての人間がその無音という「最高の音」に酔いしれていた。

 

マーラーがその譜面に記した

「死にゆくように」。。。

 

死の瞬間は物凄いアドレナリンが出るというか脳内モルヒネみたいのが出るらしく、最高に快感だといいます。

それは、死は怖くないという生物としての知恵というか自然の摂理を受け入れるための仕組み、セックスの快感のようなものでしょう。

 

あきらかにその瞬間、シンフォニーホールにはそのアドレナリンと快感が充満していた、

 

それこそ死にゆくかのように。

 

 

あの時の無音ほど素晴らしい音楽体験は他には人生においてありません。

その後の僕の音楽観に物凄い影響を及ぼしました。

 

指揮棒を降ろした瞬間大嵐のような拍手と声援。

 

しかし、ホールの席を後にする客らは全員脱力したような涙顔で誰も会話をせず、本当に余韻に酔いしれてい、その場にいた全員があの世で一体化したかのような、不思議な空間がそこに現れていました。

 

この経験だけは本当に衝撃的でいまだに忘れられませんよ。。。

 

 

やっぱり三万払った甲斐あったわ。

(違)

 

地下鉄のBGM問題に発し、このことを思い出したのでした。 

 無音という美、これは日本や西洋に関わらず絶対にどこにでも本来あるべき価値観であるはずです。

 

(もっと文才があればもっと美しくこの光景を伝えられたのに。。。泣)