音楽というのは、古来神様に捧げるモノだったり偉い人に捧げるモノであったのがルーツだと思います。
クラシックだとルーツの一つであるグレゴリオ聖歌は神へのささげもの(教会の長く深い響きに神性を感じていた)であったし、まあゴスペルやレイエム的な鎮魂歌も。日本の音楽だと声明あたりがルーツになりますがつまりそれは簡単にいうとお経なわけです。
このように敬虔な気持ちになりながら演奏するのが本来の音楽の姿。
レコーディングの歴史を振り返って見ても録音というのは「魂を吹き込む作業」でした。
例えば、マイク一本で歌もオケも全て録音していた時代があったのです。
それはそれは本当に儀式的というか。
一番偉く若く美しい「美空ひばり」さんがマイクに一番近い正面に立ち、音量バランスごとにその後ろに楽器隊を配置して全員で「まるで祷るかのように」録っていた。それはまさに!儀式。
言いかえれば緊張感をレコードに込める作業。(ちなみにその頃のレコーディングエンジニアは白衣を着て科学者のようであったのです。ちなみに科学は神を追い求める行為といいます。)
芸術には緊張感がつきものです。
僕は無くなったおじいちゃんに小さいころ習字を習っておりました。
おじいちゃんは「習字とはまず精神の問題、集中の問題である」と常々叱られました。
何故簡単な墨汁を使わずわざわざ墨を摺るのか?それは、硯に対峙し正座をして静かに墨を摺ることでこれから書く一文字一文字に対して精神を統一するという儀式でもあったわけです。
例えば仏壇に先祖代々伝わる過去帳や写経では1文字の間違いも許されません。つまり集中しなくてはならない。
現代においてはこの緊張をコントロールする過程が多くの場合見事に省略されています。「便利さやテクノロジーの優位という錯覚」において。
ハードディスクレコーディングしかりデジタルカメラの撮影しかり、間違いはすぐ訂正できますから、余計な緊張はいらない。(ここがアドバンテージでもあるけれど)
しかし、音楽の話題に戻ると本来音楽を演奏するというのは、このように常々緊張感を伴うものです。その緊張感があるからこそ美しさやリラックスを表現できるのです。
そう、緊張感を制御してこその芸術としての音楽であるわけです。
それでは現代の演奏におけるその緊張感のコントロールという儀式とは?
一つは演奏前に心を整える事としての「変身」。
つまり化粧であったり舞台衣装に着替えること。
演奏前実際そのメイクアップを受けている時間、着物での演奏ならその着付けをしてもらっている時間に演者は精神統一してどんどん集中してゆく。
その精神を高めることに集中する為のメイクさんであり着付け師さんであるわけでしょう。
特にメイクや着付けは専門的になればなるほど非常に難しいモノです。
だからプロフェッショナルに頼むのです。
着物を着る演奏家が本場前にどうしても自分で着付けなくてはならない場合、どんなに日頃着物を着慣れていてもかなり焦るそうです。何度も帯を巻き直したり。。。
それでは演奏に集中できるわけがありません。
普段やってることでもガチの本番前には専門家に頼むことの意味とはまさにそういうことだと思いませんか?
また、専門家や職人の仕事や所作は美しくそれ自体が儀式性すら感じさせるもの。。。
例えば一流のドラムチューナーの仕事。無駄ない動きで即座に求められる音をしあげていく。セッティングも美しく。。。。
レコーディングエンジニアの仕事とて一緒なのです。
例えエロい下ネタをダベりながらであっても。(そのダベりがミュージシャンのリラックスを誘うというのも当然計算済みであるわけですし)。
チューナーのson4さんがこないだ言ってました。ドラマー自身はチューニングが出来るにこしたことはないし、いや出来るべきであるが、大切な時こそは専門家に頼むべきだ、という趣旨の事を。
ドラマーは着物の柄や帯の色合いの好みをそのつど持つべきです、絶対。しかしそこをチューナーに丸投げしてはならない。だから本人もチューニングが出来てそれを理解してるのは最低限のベスト。
けど実際の着付けたるチューニングは大事なレコーディング前や本番前こそ専門家に委ねる。
それが演奏者の精神統一の仕方であり一種の儀式とは言えませんか?
それはレコーディングエンジニアの仕事しかりかと思います。
そういうことを考えて常に僕は仕事してますね。
おっぱいの話ししてるうちにでも美しく音が出来上がってるのがドラムチューナーさんやギターテックさんであり、レコーディングエンジニアなのです。
あとは演奏するだけ!!
それがいかに素晴らしいことであるか。。。。。。
ちなみに化粧が濃くて有名な僕の師匠は言ってましたね。
台風かなんかで次の公演地に遅れる。しかしどんだけ遅れようと、しっかり「変身」しなくてはならない。
けれどどんなに焦った気持ちや不安な気持ちでもその「変身」することにより精神を統一することが出来る。
これはこの「格好」で良かったことの一つであると。
演奏前の全ての流れは精神統一をするための儀式である、そう捉えると良いかと思います。
それは全て音楽そのものの為、演奏する自分の為です。
一刀三拝。仏像を掘るさい一刻みするごとに三度礼拝すること。。。そこまでは言いませんけれど。
一音一音を大切に、音楽に向き合うこと。。。。。
そういう特別感がないのが音楽を面白くなくさせている最大の理由のような気がします。
手軽すぎるのです。それはリスナーの聴き方のスタイルもでしょうけど。
晴れの日に着付けをプロに頼むのも一緒。大切な日にいかに美しい自分であるか。。。
そりゃ逃げられたら全て台無しですけどね(笑)
本来のプロフェッショナルはどんな状況や要求からも逃げないものだと思います。
今年一年も江戸前ではそういうことを緊張感をもって念頭に置き、レコーディングを頑張っていきたいです!