音楽が、レコーディングが技術的特異点「シンギュラリティ」を迎えたら
これは2015.9.01に書いた記事です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今日は昨日呑んでいてふと思った事をつらつらと。
『技術的特異点と音楽』
最近の音楽のソフトウェアや各種デジタル機材の進化と普及はめまぐるしいものがあり、それによって様々な新しい形態の音楽が次々に産まれてきています。
音源やプラグインで作り出せないモノはないのではないか?と、勘違いするほど。
科学技術の世界ではここ30年の間に技術的特異点「シンギュラリティ」というのが訪れるそうなんです。
簡単に言うとコンピューターや科学技術が人間の脳や身体の能力を超えて、下手したら人間がコンピューターやロボットの奴隷になってしまうのではないか?とか(笑)
SFやオカルトのような話しですが、今やまじめな議論の的になってるとのこと。
実際コンピューターやIT、ネットの通信スピードの進化、工学の進化がこのまま続くと間違いなくそんな時は訪れるそうなんです。
これは、こええ。
で、音楽について考えてみた時に、
ロボットが作曲できたりドラムの演奏出来たりって時代が間違いなくくると思うんですよ。
その時に生身の人間はそのロボットに対して何を思うのか?
想像できるのは、それこそ手数とか正確性とかスピードとかは間違いなく負けるだろうと言う事。作曲のスピードも負けるでしょうし、ありとあらゆる音楽の制作や演奏の効率面で人間は負ける事になるでしょう。
で、そんな時きっと人間は言うはずなんです。
「そんな精確なだけの、無機質なロボットの演奏なんてつまらないよ。(それでも充分有機的で感情豊かな演奏をしそうな気がしますが。科学技術によって)」
「音楽は人間が演奏するから面白いんだよ。」
「精確無比なだけの音楽なんてクソつまらない。人間の曖昧さとか不確実性こそ音楽の魅力だ!」
云々。
これは安易に想像できます。
これは安易に想像出来る人間の言い草です。
。。。。
しかし、実は音楽についての技術的特異点はすでに目の前、いや、とっくに来てるのではないでしょうか?
レコーディングにおいて編集やら音作りやら、サンプリングやら、アンプのシミュレーションやら、ある意味出来ない事はありません。
しかも、それらの一見便利と思われるハイパーな道具やソフトウェアを使いこなすどころか、実はその道具に使われてるというか、振り回されてやいましないかと。それと有り余る無駄な情報に。実感を伴わない無機質な情報に、
我々純粋な人間、ミュージシャンが。
振り回されている。。。
そんな事を昨日「いせや(吉祥寺の老舗焼き鳥屋)」での最も信頼し尊敬するアーティスト•ミュージシャンとの語らいで二人して思った次第です。
エモーションがない、音楽に感情がないよねって。。。
「本当に私たちの時代だよね。これからは」って。
30年たったら間違いなく上のようなことを言い訳してる人間が出てくるとすると、だから生にこだわるというのは間違いなく30年進んだ考え方、進んだ音楽といえますね(笑)wwwwwww
ま、極端な考え方なんですけどね!(笑)
生だよ生。
ドラムも生。
演奏も生。
ビールも生。
あれもこれも絶対生!(笑)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
とまあ2年以上前の記事ですけど、この記事だと
『人間の感性や表現の方がAIより優れている』という前提で書かれていますよね。
いや、2年以上経過して今思うのは感性や表現力ももしかしたらAIは人間を超えてくるのではないかな、ということ。
最近のGoogleを見ていると検索アルゴリズムであったり翻訳能力であったりに、人間の感受性を超える能力を感じるのです。それは音楽含む芸術分野でも一緒ではないかなと。
これは人間、どうしたらいいんでしょうか。
より人間らしく、美や本質に忠実に生きていくしかないのかなと。他人や情報に惑わされず。
昨日のBLOGに引き続き思ったことなのでした。