一音一音に立ち向かう尊さよ
音楽や音楽業界というのは派手な側面ばかり注目されがちですね。
何百万枚売れたとか、〇〇で一位取ったとか、〇〇のツアーでドームだ!とか。そりゃもちろんある意味そういう音楽活動はメインストリームではありましょう。
しかし、世の中にはそういう派手さはないものの地道に音楽の美しさ、一音一音の尊さというようなものを追及している人たちや分野があるのはいうまでもありません。
ドラムは沢山のパーツから出来ていますが、そのチューニングボルトの精度に命をかけて作っている工場の人なんてのもおられるわけで、そういう人たちに支えられ音楽は成り立っている。
今回はものを大切にしろという話ではないけれども、自分を見つめ自分の中から出てくる感情や精神をみつめ、一つの音や音色に命をかけてやっている演奏家やそういう音楽もあるということを、ドラムやポピュラーな音楽をやっている人たち特に若い人たちに知ってもらいたい、というかそういう人もいるというのを「意識してほしい」ですね。無理に聴けとは言わないまでも。
歴史が積み重ねてきた音楽文化、ドラムのフレーズやリズムパターン、楽器の仕組みひとつ取っても先人の蓄積を拠り所にしています。
この時代、もう奏法や音色、音の組み合わせや作曲技法•ミックス技法なんてのは出尽くしているとも言えます。
けれど、たからこそ音楽の原点に立ち返り音楽をどう表現するか、どういう音色であるべきか、またその音色をどうやったら出せるのか。美しい本来の姿の音楽とはなにかを考ているひとも沢山いますし、また、楽器製作者や音響技術者等にも、いい音やいい録音や再生とは何かを常に考えている人は、少ないかもしれませんが必ず一定数いて、その人たちが音楽の基本的な美学を今や下支えしてるといえるのです。
短絡的な情報や意見、派手さばかりでコンビニエンスな安さの音楽業界では音楽はもはや死に体と言えるでしょう。
音楽は文化であり芸術。
このような最早こっぱずかしくなるのうな忘れられた事実を今一度振り返ってみなくてはならないのではないでしょうか?
江戸前さんはご存知のように(笑)怖いだの失敗をゆるさなそうとか、下手くそを相手にしないで怒られそうとか思われてるらしいですが、全くそんなことはございません。
むしろ純粋な気持ちで音楽をする人ならば保育園児ですら愛おしく思うのです。
ヒットチャートに上がる、フェスに出れるようなバンドや音楽ばかりが音楽ではないと常々思っています。
楽器やジャンルや経験値、売れてる売れてないで音楽を考えるほど馬鹿げてることはありません。
レコード大賞取るような音楽から、個人の記念品だったりアーカイブだったりするような商業規模の小さい音楽まで、分け隔てなく「どれも正しい音楽」として接していくのが僕の音楽への考え方です。
どれも好きで聴きます。